ミニマリスト遍歴
私がミニマムに目覚めたきっかけは幼稚園の頃に読んだ「おおきなきがほしい」という絵本です。小学生が庭の大きな木にツリーハウスを作って住むというお話で、今もツリーハウスの夢は持ったままです。
息子にも絵本を買いましたが、私のような憧れは持たなかったようで、私の方がリバイバルで夢いっぱいでよく読み聞かせていました。息子は機関車トーマスの方が良かったみたいですが…
私が小さい頃、父母にはお金が無く、とてもミニマムな生活をしていました。母は綺麗好きで清貧の長屋で幼少期を過ごしました。銭湯に通っていた事は楽しい思い出です。
しかし、父は長男ですので私が10歳の時に実家へ戻ります。田舎にある掃除嫌いの祖母の家で、私の生活は一転しました。
私は、母の清貧生活がベースですが、掃除嫌いの祖母の血を恐れているので、極度の片付け魔になったと自覚しています…
私が一人暮らしを始めた時が一番のミニマム生活だったと思います。
1Rには前の住人のマットレスと毛布一枚、間接照明ひとつ。家財道具はそれだけ。持ち物は大量の服だけで、ほとんどはコインロッカーに預けっぱなしでした。
外食するのでキッチンは何も必要なし。
服はクリーニングに全て出していたので下着の手洗いのみ。
掃除は手で埃を集め、ティッシュで拭き掃除するだけです。
カーテンもないし、電話もないし(ポケベルのみ)、友人が吃驚して、次の住処は散々に世話を焼かれてマキシム生活になってしまいました。
2LDKに一人暮らしはバブル期と言えやり過ぎではと思いましたが、友人知人がしょっちゅう来ては泊まったりと大変賑やかで、料理好きな私が一番腕を振るった時代です。
でもマキシムな生活をしてみて「私にはミニマムが合う」と気付きました。(その頃はそんな言葉で表現しませんでしたが…)
バブルも終わり、2LDKのマンションは整理して、ワンルームに引っ越しました。誰にも邪魔されず、一口コンロのミニキッチンで料理して、普通の一人暮らしを満喫した唯一の経験です。
それから結婚した時もミニマムで、結婚式も指輪も新婚旅行も何もかも省略、身ひとつで嫁ぎ、夫が大昔に買っていた立て爪ダイヤの指輪だけ貰いました。今も重ね付けして活用しているのでとても良い物をいただきました(笑)
新婚時代、キッチンカウンターの上には何も置いていませんでした。それでも品数の多い食卓だったので、親族は「何もしない嫁ではないようだ」と安心はしていても、物の少ない我が家を訪れると不安そうでした。
夫の母が気を使って、大きな冷蔵庫や電子レンジなど買ってくれましたが、私にはちょっと手に余り、困ってしまったのでした。
夫の転勤で地元を離れると、炊飯器や電子レンジを捨て、寝具は最小限(マットレスに毛布2〜3枚)、冷蔵庫も100リットルへ、二槽式洗濯機に変え、ハンディ掃除機、石油ストーブなど…その頃は非常識な生活と思われ、家にはお客を呼びませんでした。
しかしミニマムにすると遠くない未来にマキシムが訪れます。
夫の父がデコラティブな家具セットをいきなり送ってきたのでした…お店を始めてそこに置きましたが、自分たちの趣味に合わないので働く気がおきませんでした…お店は5年もせず未練なくやめられました。夫の地元に戻る時、ほとんどを処分してしまいました。そしてまたミニマムへ。
40代寸前で、子供のいない私達は更なるミニマム化へ暮らし向きを変えました。老後の支度です。
職場から歩いて行ける60平米ない1SLDKを借り、荷物は最小限、服も家具も気に入ったものだけ。蔵書も大方処分しました。
私も自分の仕事を新しく持つつもりでした。
すると…半年もしてから妊娠して子供が生まれ、また物が増えることに。
ミニマムにするとマキシムがやってくる。
息子が3歳の時に夫の両親と同居して、マキシムの最たる暮らしになりました。でも闘病で数年後にマンションへ移り、また改装でミニマム化を企てると、別宅と実家がただいま私の暮らしです…
ミニマムに身を置くとマキシムが跳ね返ってくる。
そろそろ諦めて、マキシムを楽しもうと思います!
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